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「バーン!!!!」

PAP_0067.JPGのサムネール画像

本日チェックアウトされたお客様は、火山大好きで、世界各国火山温泉巡りをされているという御夫婦様。
温泉の説明にも、力が入りました。

「一言では語れない温泉なんですネ。」
と、楽しみにご入浴された御感想は、

「大変素晴らしかったです。
温度も丁度いいし、湯冷めするかと思ったら、後からグーッとパンチが効いて、朝起きれないくらい、ぐっすり眠れました。」


世界をご旅行されたお客様に、そういって頂けるなんて、本望です。
「そして、潮騒の音が心地よかった。」
「湾内ですので、こんなに目の前が海原なのに、静かな潮騒との御感想も、よくお聞きします。
でも、心静かに過ごしているところに、ドカーン!!と、噴火音・噴煙の景色になるのが、桜島の自然です。」

「うわ~、面白~い。」
「はい。
それが、この地の観光です。
でも、ここ2,3日、静かなんですよ。お客様がお帰りになった頃、ドッカーンというかもしれませんね。」

そんな話をしていたからか、11:00頃、「バーン!!!!」という音で噴火しました。

ドカーンではなく、運動会が始まるような音、といいますか。・・・

写真を撮りに行ったら、曇りで山は見えませんでした。
また、南の風が吹いているので、当館とは反対の方向に、噴煙が棚引いている模様です。

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感知できる情報(風とか雨とか)をその時その時集めておいて、出た時の程度を、「なるほど」と思うのが、桜島噴火です。

「ソシテ・・・・」

マグマロードより

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「ニホンゴヲマナビニキテイマス。」
という欧州からのお客様。
女優さんか、スーパーモデルさんかという位のお美しい方でした。
「アソニモ2ハク、アスハキリシマ、シンモエダケ?イキマス。」
「火山がお好きなんですか?」
「ハイ、ダイスキデス。」
笑顔で語られるのが、また素晴らし過ぎる。・・・
お客様の行動力、好奇心に触れながら2泊過ぎ、桜島を後にする朝。
「オチャノカオリガタイヘンスキデシタ。
シャシンヲトリタイデス。オクリマス。
トテモシンセツ。アリガトウゴザイマシタ。」
日本流に何度も頭を下げて下さいました。
「ソシテ・・・。」
そして、何だろう、と、青い目を見つめると、

「ガンバッテクダサイ。」

本当に、お優しい方でした。
有難うございます。
頑張ります。

「先祖は家老でした。」

庭の吉野桜

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歴史がお好きと言われる外来入浴のお客様と、
平家の落人伝説のお話に尽きることが無かった時、

「そういえば、親族の家紋を調べたことがあって、丸に十の字の紋が、島津の家老の紋だと言われて、驚いたんですよ。」

その日お泊りのお客様からも、丸に十の字の家紋だとお話があったので、同じ日に2度聞いてびっくりしました。

歓迎看板に、維新の立役者と同じ名字が並んだ日もあったりして、鹿児島って近代日本史の本場なんだと実感したこともありました。

外様だったり、西南戦争に負けたりで、語られていない事が沢山あるような、私にとっては、まだまだ神秘的な鹿児島。

降灰で、古里町が包まれた日。
「薩摩って凄いですね。こういうことも当たり前なんだ。」
と、感慨深げに頷かれるお客様もいらっしゃいました。

人間の迫力を感じるこの自然の有り様、それが鹿児島観光の醍醐味ような気がしています。


  • 2012年04月16日

フツーです。

女性露天風呂より

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「フツーに暮らしてるんですものね。」
関東より女性一人旅のお客様。

鹿児島に用事があったので、普通のビジネスより行ったことの無い「桜島」へ、と思われたのだそうです。

「でも、あちらの放送局って、危ない危ないって、ねぇ。」
「そうなんです。
でも、景色が良いということで、来て見たんですけど、フツーに家があって、国道があって、皆さん暮らしていらっしゃるんでものね。」
「130年くらいたつ小学校も近くにありますし、鹿児島市街地からも9キロしか離れていないしですね。
毎日噴火しているのが、他の活火山と違うところですが、出口が機能しているので、今のところフツーの生活です。」

 

若いんです。

「あ~、若いんですネ~。
だから、元気なんだ~。
分かりやすい~。
それをもっと皆に教えてくれたらいいのにぃ~。」

「2万6千年前かぁ。なんだー、まだそんだけしか経ってないのか。
中坊じゃないか。そっか、中坊か。じゃー仕方ないよ。」

桜島のことでした。

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桜島の東に~秘話「こんな温泉があったなんて」

さくらじまホテルの温泉の特徴

源泉地・有村町
地下40m
鉄分を含む透明
46℃の火山性の中性温泉

配管でダイレクトに浴槽に注がれることにより、
個々の浴槽の大きさの違いで、掛け流す速度が若干変わり、
天然ミネラル成分の色の変化、
沈殿、 湯膜等の変化を生じる。

女性内湯の小は、43℃で源泉より温度は少し下がるが、源泉とほぼ同じ状態。
他は全て、41℃の薄緑がかった半透明のにごり湯となっています。
浴槽の岩は、鉄分の酸化した赤い色が付着していますが、
浴槽水の色と違うのも珍しいところです。


お客様のご感想をご紹介します。

「腰の痛みが和らいだようで、久し振りに夜中に起きなかった。」
「関節の痛みが和らいできた。2~3週間温泉に通い、歩きやすくなりました。」
「赤くカサカサになったので、以前利用したことのある、こちらの温泉で治るのではないかと来てみました。
1度で良くなったのにはビックリしました。」
「毎回来るたびに、足のかかとが簡単にツルツルになるのには驚きます。
お薬を使っても良くならなかったのに、お湯の出る所で少しさするだけでした。」
「温泉タオルパックで、お肌がツルツルもちもちになりました。」
「虫さされでかゆかったのですが、かゆみが取れました。」
「髪の毛がサラサラになりました。」
「塩分の多い温泉かと思いましたが、サッパリしました。鉄分の香りでした。」
「大病をして汗が出にくくなったので、日々運動を欠かさないできました。
でも、お風呂に入っただけで、こんなに発汗するなんて。自分にまだこういう力があると、自信が持てました。」
「低体温症だったので、連泊でゆっくり温めました。
久し振りに足や頭の中の冷えが無くなりました。」


さらに、「こんな温泉があったなんて・・・。」
と、お客様が驚くその訳は・・・
数々の偶然が重なっていることを知ったから。
では、その偶然とは・・・。

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 ①1779年、安永の噴火活動時、桜島東側地下浅部に、水が溜まる層ができたと考えられている。

②①は海水と雨の貯留層となり、桜島北部にあるマグマ溜まりを熱源とした、安山岩のミネラルが溶解する高温泉となっていること、それが数10年単位で循環していることが近年わかった。

③1812年、伊能忠敬測量班が南九州を実測している。
測量班が2班に分かれて桜島を計測した記録には、安永噴火30余年後の島民の様子が記されている。


垂水早崎台を目前に国道224号線を走る

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④安永噴火から74年後の1853年、島津斉彬は、牛根麓脇田造船所とともに、桜島瀬戸村(現在の桜島口付近)にも造船所を設け、交通・他言を禁じた。
【垂水市牛根辺田地区には、壇ノ浦の戦いの後、九州を西回りで南下してきたといわれる平家落人一行が、統制のとれた日々を送っていたと言われ、彼らは平家の水軍の船や技術を持ち、それによって島津から認められ、牛根辺田の広い土地を領していたといわれている。】

桜島南東部は、群雄割拠の時代から、大隅半島を見晴らす重要な位置にあった。

また、現在の桜島口垂水側にそびえる「早崎台」は、咲花平(さっかびら)との名称があり、追い詰められたら飛び降りるしかない難所でありながら、
桜島を含む錦江湾全体が見渡せる見晴らし台でもあった。



お互いが見張り合う場所ながら、「後ろは深山、前は海、逃けるに易く、探すに困難」な場所であり、
垂水牛根には平家の落人伝説・平清盛の孫の安徳天皇に関わる陵(みささぎ)という場所(島津重豪公が献燈された石塔が残されている。)や、宇喜多秀家(豪姫の夫)が身を寄せたという屋敷もある。


⑤1863年8月、垂水側の造船所とは反対の鹿児島湾内で、世界一の大英帝国艦隊との戦闘が繰り広げられた。
艦隊から、初めて活火山の浮かぶ錦江湾を見晴らした英国人医師は、
「もし、友達がすべて一堂に会して、この土地の巧みに仕組まれた壮観さと新奇さがかきたててくれる楽しみに接し、それを心ゆくまで味わうことができたら、これ以上の望みはありません…。」
との書簡を英国の家族あてに残している。
(医師は生麦事件で薩摩藩に切りつけられた英国人の主治医。
後に薩摩と関わり、鹿児島大学医学部付属病院の前身、西洋医学校の院長を務めた。)

以降薩摩と英国の関係が深まり、鎖国が終わり、明治という新しい時代を迎えるとともに、桜島南東部は桜島の中心地となっていった。
中でも、朝日が降り注ぎ、作物が豊かに実る耕地があった有村は、支所・病院・学校・郵便局等の機関が揃った。
また温泉は、見晴らしが良いとのことで、新聞の投票にて明治41年全国一の温泉地に選ばれた。
有村には、皇太子(大正天皇)御回遊の碑が建てられていた。
(「活火山を愛でる」http://sakurajimahotel.jp/blog/cat1277/post_379.html

 

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⑥大正3年、桜島の東西に溶岩が流れ、南東部の大正溶岩は、有村温泉、瀬戸造船所をのみ込み垂水牛根に到達した。


造船所のあった瀬戸海峡は、閉門されたような地形となり、潮流が止まったように、人の流れも止まった。明治の世、沢山の人々が押し寄せ暮らした有村・脇・瀬戸は埋没し、大正溶岩の上は大自然だけが造り続ける場所となった。

明治時代に観光客が押し寄せた有村・黒神の、地下浅い火山性温泉層は大正溶岩によって失くなっただろうと言われている。
湧出量のある火山性温泉が掘れるのは、現在残っている有村町、古里町のみとなった。
逆に、桜島は、未だに内部で火山性温泉を生産し続けている。

安山岩の桜島の懐で、雨・海水に溶岩のミネラルを数十年かけて溶解させ、その間にミネラルが反応し合い、熟成して、
再生され、大海にミネラルを供給し続ける。
地球の水の大循環の途中、ポンプアップで、ダイレクトに当館の浴槽に到着する。
現代の社会に染まった海水と、天に昇った水蒸気が再び雨露となり、桜島の懐に集められ再生され、信じられないくらい優しい温水となる。
「地球の水がミネラルを溶かし、命が生まれた。その命は、太陽、地球、宇宙の火によって鼓動を打つ温度を得、生きることが出来た・・・。」
そんな実感のできる遥かな温泉なのだ。

溶岩のミネラルが、水と溶け合うこと、数十年という短い時間でその水が入れ替わること、熟成された成分に水を加えたり温めたり、人工的に手を加えると、熟成された形がなくなるそうだ。

還元鉄~地球環境科学的所見http://sakurajimahotel.jp/information/cat887/post_23.html

それが、「低張性・中性・高温」という状態で、上記のお客様のご感想・実感に表れている。
 温泉分析書*知ると知らぬでは大違い
http://sakurajimahotel.jp/information/cat886/post_27.html


大正の噴火後の復興の途中で、東斜面に昭和火口が口を開け、地下浅い温泉貯留層に社会の繁栄が映ることなく、97年が過ぎた。
桜島南東部にある地下浅い火山性温泉層は、地球の営みの中で存在している。
道が繋がっても、昭和火口がある限り、人は関わらない。

生まれてからこの方、そんな宿命の温泉なのだ。


補足

第二次世界大戦中、薩摩・大隅両半島から特攻隊が飛び立った。
桜島・錦江湾はハワイに見立てられ、演習が行われた。
鹿児島大空襲で焼け野原と化した終戦時、知事、市長と海外から戻って来た当館初代は、
「民主主義」という未だ知り得ぬ時代を、「観光」という希望で桜島の噴煙を見上げた。
昭和21年、昭和火口が活発化。
昭和25年、溶岩に覆われ耕地が乏しく、地下水を掘っても塩分やミネラルを含み、井戸水の掘れない火山性温泉地帯の東桜島地区は、鹿児島市に編入。
と同時に、それまで道なき道の大正溶岩原に大隅半島と繋がる国道224号線着工。
その際、東桜島住民らが大隅垂水より水道を引いて欲しいと陳情。
大正溶岩が垂水まで流れ着いたことで、道も水道も得ることとなった。

昭和29年、古里町に当館前身の温泉旅館「桜岳園」開業

昭和30年、南岳が活発化。
御成婚間もない皇太子ご夫妻(現在の天皇皇后陛下)が桜島にご旅行され、南九州は新婚旅行ブームに沸いた。

その頃ご来館されたお客様が、昨年、40~50年振りに全線開通の新幹線で再来された。
「あの頃、大正溶岩はむき出しのごつごつした岩だった。
その大正溶岩を見に来たのに松が覆い尽くして残念。」
2014年、大正噴火100年事業が予定されている。

昭和58年・59年 土石流発生 
古里町では国道下り坂の当館のみ被災。1回に100万立米と言われた。
2年連続の被災となり休業を余儀なくされた。
当時は、火災保険制度も支援制度も無く、私有地内の復旧は自力となった。
(全国の被災地の皆さま、心が折れぬよう頑張って下さい。)
土石流発生に伴い、河川並びに国道224号線の砂防工事が始まる。

平成16年、世代交代。

平成22年古里町 第一古里川・第二古里川・国道224号線改良工事完了。
丁度、温暖化と言われ、雨量が想定外となった頃に、頑丈になった。

ぷるぷるになってます。

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温泉で洗顔後、お手持ちのクリームもしくは設置の試供品クリームをつけ、その後、ゆるく絞った温泉タオルで温パック。

これをご入浴するたびにされたら、モチモチ、ツルツル、しっとりになります。

当館の温泉は、汚れを落とすのが大得意。
「落とす」のが一番難しいと思いますが、
洗顔剤を落としきるのが得意なのです。
お肌に余計なものをサッパリ落として、必要なものを補う天然ミネラル還元温水の力です。

プラスマイナスゼロになるので、化粧品の効果が上がるのだと思いますが、当館売店に化粧品を卸してらっしゃる業者さんも、ビックリです。

皆さん、「1日でそんな・・・」と言われるのですが、お帰りになる時は、スタッフ皆ビックリしてます。
時間をとられた宿泊のお客様だからこそ、専念できるのですネ。

桜島と避難壕と山桜

避難壕(ひなんごう)とは、もしもの時、噴石を避ける退避舎
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今日は南風で、国道224号線は久し振りに降灰が無く、何も考えずに青空を見上げました。

 

桜島の桜

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桜島港近くの、マグマロード。
20年ほど前、南岳の噴火や降灰が頻繁だった頃、植樹された桜並木。

あの頃は、今の昭和火口のようなものではなく、本当に「ドッカーン」と1日に何回も、大きな噴火音が響いていました。
降灰量も凄かったし、降りてくるガスも強い時がありました。

そんな中で、旧桜島町のマグマロードで、桜の木が植えられているのを見て、本当に勇気をもらいました。
「負けないんだな~。」と、ここで生きて来られた方々の気概というか、願いというか、凄いなと思いました。
あれから、降灰はもとより、台風や強風や、大自然の脅威にさらされてきた桜は、しっかり根を張り、今年も沢山の蕾を付けていました。
当館のスタッフと、満開の桜を見に行こうと、楽しみにしています。


熱いものは出す

垂水港より

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「皆さん、桜島の噴火のニュースを見て、心配した事と思います。
地球は熱くなったら出すことで冷やすのだそうです。
だから、桜島も熱くなったら、中の熱い物を出します。
でも、もし、出なかったらどうなる?」

小学生のサッカー選手達が、声を揃えて

「破裂する!」
と、答えました。

「桜島は、今、小出しに出来る状態が続いていますから、灰が降るのは大変ですが、良いということです。
私達は、これをイメージに変えて活かすことが出来きるのです。
例えば、皆さんはサッカーの試合をするのですが、勝ちたいという熱い気持ちを、試合の中でボンっと出せばいいわけです。
あちこちに発散せず、一つの道に添って。
桜島のように、イメージすればいいよね。」

小学生のサッカー選手の眼は真剣でした。