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有村温泉

健康になる為に

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血が巡ると体が温まる。
血流が止まると冷たくなる。

 

「体調が悪いのかな?」
声に出るまでもなく、何となく思った時。
その時を大事にしましょう。

好みはいろいろあるにしても、人体の造りは同じ。
体内を温かくすることと、こころの希望が、血のめぐりを良くして健康に導いてくれる。

口から入れるものは、水でも食べ物でも薬でも、難しい。

当館の有村温泉は、硫黄分の無い、中性の天然ミネラル温泉。
「あとからポカポカになるんですね。」
と、皆さんが実感される温泉です。

健康になるために、入る温泉。
それが、地球と桜島だけが作り出す、有村温泉です。

有村温泉~傷ついた我が子を

当館より、有村大正溶岩原と大隅半島の日の出

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「私の住んでいる有村はね、今でこそ何人かしかいないけど、昔から温泉があって、食べ物が沢山実って、郵便局やら、小学校、支所もあったんだよ。
大正の溶岩で埋まるまではね。
病院の先生やら、国家公務員やら、立派な人たちが別荘を建てて、その昔の西南の役の時は、西郷さんの菊次郎さんという方をお世話したというお話があって。
うちの実家は役どころをしていたものだから、欄間の立派な座敷を用意して、戦争の怪我を治したとか父から聞いているの。」

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菊次郎さんのお話は、その後、古里町の改新小学校100年誌にも「西郷隆盛さんの息子」とあったので、このブログでも触れた事がある。
何しろ、学校の先生方も編集に関わった立派なものだった。

しかし、インターネットで調べてみると、宮崎で湯治というのは出てくるが、有村でというのは出て来ない。
「ン?違うのかな。」と思ったものの、その内、「あの負傷した足で、誰かが抱えて行ったにしても、県境は険しく、・・」という一文に目が止まった。
そう言えば、話してくれたメイドさんは、意を決して話してくれたような(?)・・・。
何も分からない私は、「秘密なの?」と思った程。
足を負傷して、桜島有村に来ることはあり得たのかなと思いながらも、それより、そんな話が残る、大正溶岩に埋まってしまった桜島有村温泉って何?と思ったものだ。

見えないものってすごいものが多いですから。
自分の血管もそうですし、
土地の下も。
大事にしましょう。

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ところで、鹿児島の歴史は、何か重大な出来事の始まりとなる話が多い。

天孫降臨の霧島、吾平山稜、君が代、日の丸。

何かが始まるというのは、天水が山に落ちていくように、何事もなく、ただ自然の有り様のみ。

そういう瞬間が沢山あるのが、鹿児島であり、それも、大自然から生まれるものと同じ始まりなのだと、信じられる。




「西郷隆盛さん、小松帯刀さんの有村温泉の入湯記録があるよ。」

とNPOの方から聞いた時は、ここも鹿児島の維新の歴史の真っただ中にあったと実感した。
しかも、有村の隣の瀬戸村には、江戸幕府に献上した日本初の軍艦を造った造船所まであった。
「へ~!この辺りは藩士もいたんだ。」
しかも、幕府献上船の「昇平丸」は、オランダの造船書を忠実に研究したものと知り、誰も簡単には来ない火山の麓で、集中力、知力、物資が揃ったとすれば、ここ有村は・・・。


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そして、調べていくうちに、鹿児島出身の元新聞記者のブログが面白くて、薩英戦争に引き込まれた。
明治の時代には、西郷隆盛が薩摩に最新の医学をということで、英国艦隊に乗船していたウイリアム・ウイリスを鹿児島に招いたという流れに驚いた。


ウイリスって、生麦事件で薩摩藩に刺された英国人を治療したお医者さまでしょう、しかも英国医学?でもまたどうして?
「ドイツ医学なのかな?英国人は、どこで医学を学んだんだろう。」
調べてみて大いに納得した。

 

 

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【ウイリアム・ウイリス】
1837年、アイルランド生まれ。
スコットランドのエディンバラ大学で医学を学ぶ。
(1582年創立、イギリスで6番目に古い大学。)

そのイギリス医学とは「根拠に基づいた医療」を特性としており、新政府が採用したドイツ医学(純粋科学としての医学)とは異なった。

ウイリスは、患者の治療だけではなく、食生活の改善・公衆衛生・予防医学・教育などの分野で多くの業績をあげたという事である。

ウイリスの鹿児島での活躍は西南戦争の勃発とともに終わり、わずか8年間に院内で治療した患者の数は1万5000人、往診は数千件、教えを受けた医学生は300人にも及んだそうだ。

貧しい人からは治療代をもらわなかったとあった。




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ちなみに、ウイリスの愛弟子には、こんな方が。

【薩摩藩海軍軍医高木兼寛 (宮崎出身・東京慈恵会医科大創設)】
ビタミンの父と崇敬される高木兼寛は、「根拠に基づいた医療」を特性とするイギリス医学に依拠して、当時流行していた脚気が栄養の不足に基づくものと考え、兵食改革をすすめ、海軍における脚気の発生率を劇的に低下させた。(海軍カレー)

他方、研究を重視するドイツ医学の流れをくむ陸軍では高木の考えは否定され、結果として日清戦争・日露戦争では多くの脚気患者を出してしまったという。
また彼は、日本の医学界がドイツ医学一色で学理第一・研究優先になっているのを憂い、英国から帰国後の明治14年、臨床第一の英国医学と患者本位の医療を広めるため成医会講習所を設立する。
明治15年、貧しい患者のための施療病院として有志共立東京病院を設立、明治20年には総裁に迎えた昭憲皇太后から「慈恵」の名を賜り、東京慈恵医院と改称して高木兼寛が院長に就任した。
ナイチンゲール看護学校を擁する聖トーマス病院で学んだ経験から、医療における看護の重要性を認識し、その担い手となる看護婦の育成教育にも力を尽くした。

 

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ウイリスが鹿児島で医学校を任せられる前のこと。

68年(慶応4年)の鳥羽伏見の戦いでは、負傷者の治療に窮する薩軍臨時病院に赴いて手当てを行った。
その後、横浜海軍病院や越後方面の前線での敵味方の区別ない治療によってウィリスは次第に人びとの信頼を得てゆく。


敵味方の区別なく・・・・これもまた、ウイリスの学んだ英医学の精神を感じる。
大山巌の紹介で、西郷従道の手当てにも当たったとあるので、西郷さんとの繋がり、鹿児島とのご縁ができていったと思うが、先進的な医療はもとより、イギリス医学の真髄とご縁があった様に思う。

温泉治療も。
温泉・・。
どこの温泉かというより、温泉を治療として取り入れられるのは、人間的でしょう。
調べると、そんなウイリスの人となりが、数多く伝えられていました。

そして、イギリス医学を薩摩に取り入れた西郷隆盛が、ウイリスがいなくなった西南戦争の中、10代で負傷した我が子菊次郎を、温泉で治療させたとしたら。
それはもう、人道的な医学を最新の医学として、愛する郷土の民の命を救おうとした、西郷さんの「心」の証なのではないでしょうか。

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そして、さらに、聞いたお話のように、安永溶岩に阻まれた有村温泉にかくまったとすれば・・・。
有村温泉を知っている西郷さんだったら、そして父親だからこそ、・・・。

攻められる薩摩藩。
噴火する活火山。
活火山を知らない人は近寄らない麓。
そこは敵の知らない実り豊かな桜島。
藩の造船所。
後に日本一の景勝地となった有村温泉。
傷が治るという泉質。

怖いものから子供を守り、痛めつけられた心と体を癒す。
菊次郎は離島育ち。
本土に入った途端に殺し合いだった。
火山と温泉から守られる、という特別な時代は有り得ると、暮らしていて強く思います

(ちなみに、西南戦争時には、桜島赤水に県庁が置かれていたそうです。)

天水が降り注ぐように、薩摩に英国医学が降り注がれた。
郷土の人を助け、我が子を守る心を感じた時、私の中で「西郷隆盛」という名前に血が通った。
天と地が新鮮なミネラルの灰を浴びさせ、独特の人の心を育み続ける鹿児島。
桜島の灰を受け入れた事のない方の維新の話が、何となく物足りないのは、描く薩摩に活火山桜島の息吹が感じられないからだと強く思う。

ちなみに、アメリカのペンシルバニア大学は、ウイリスの学んだエディンバラ大学の医学をモデルにした全米最古(1765年)の医学部。
最近、アメリカから来たとされる「根拠に基づいた医療」(エビデンス~臨床結果~に基づく医療)は、インターネットの普及で膨大な資料が伝えられるようになってから、という事です。

水を賜る

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「昔はね、井戸が出ないから、雨水を溜めるマスを作れるお家は造って、シュロや貝殻で濾して頂いてた。
お水は、・・まぁ何もかもだけど、貴重だったの。
溜めマス
が無いところは、釣ってきた魚とか野菜とかを持って来て、水と交換してね。
この下を掘っても、塩水のような温泉しか出なかったから、
それで、国道を作る時(昭和25年ごろ)に皆で陳情して、垂水から水道を引いてもらったの。
山の所に、良い湧水があるとかでね。
その頃、この辺は鹿児島市となったのよ。
なにせ、桜島の東側は溶岩だらけでしょ。
西桜島のように、作物は出来なかったし、そう言う時代よね。」

桜島は、1779年安永の大爆発時、南北に流れた安永溶岩で、東西に分かれた。
大隅半島側の東側と、薩摩半島側の西側に。
当館は、桜島を東西に分断した南の安永溶岩の上に建つ。

安永噴火の約30年後、伊能忠敬測量班が桜島を測量した記録の中に、島内の様子が記されている。
世帯数や職業まで記されていた。
そして、今と同じ地名を見た時は、「ず~っと暮らしが続いているところ。」と、心底安堵したのを覚えている。
昔から災害を乗り越えて、人が暮らしてきた所なのだ。

安永の噴火から、大正3年正月の噴火までの間に、明治維新があり、世の中が変わった。
江戸末期から大正2年まで、東側の桜島には、国産初の軍艦を造船した造船所があり、作物や果樹が実る「宝の島」と呼ばれ、温泉があり、風光明美で日本一となった観光地があった。

その後、
大正の噴火時、今度は溶岩が東西に流れた。
町の仕組みが変わり、その内世界大戦で敗戦し、国政も変わった。
戦後、知事、市長との集まりの中で、焼け野原となった市街地から桜島を見ながら、
「民主主義という新しい時代が来るのだ。
鹿児島は観光だ。
君の所には温泉があるじゃないか。
これからは婦女子が観光する時代が来る。」
と、戦地から帰って来たばかりの先代と語り合ったそうだ。

それから水道が整い、東側の桜島は、鹿児島市に編入した。
溶岩の少ない西側の桜島は、鹿児島郡としてそのままだった。
86歳となった大女将から聞く昔話は、戦後の流れがびっしり詰まっている。

平成の時代となり、「環境」という言葉が盛んに遣われる様になった。
学問を通して、桜島の地下の状態が分かり、当館の温泉の出来る大自然の仕組みが分かった。
昭和25年に通ったという、東桜島一帯の水道水も有り難いものだと分かった。

この辺りは、天から降る雨が飲み水となり、天から降る雨が溶岩のマグマを含む温泉と変わる、
天からの賜り物の世界なのだ。

活火山桜島は、安永の噴火の時、東側の地下に、変化があったのかな。
有村温泉は、明治に発見されたと何かに記されていた。
当館の温泉は、マグマと天水と海水が、数十年かけて熟成しているものと聞いた。
安永から、数十年経って水がたまり、マグマに沸かされた温泉水の層が出来たのかな。
有村大正溶岩の下の詳しい話は、研究されていなのか、聞いた事が無いけれど、
当館の温泉の出来方を知ると、あの戦後の話し合いの時、トップの方たちが、桜島火山性温泉の仕組みを知っていたら、何か随分変わっっていただろうなと思う。

ここから望む、大隅の山々が、南九州の天水を蓄えている。
その高隅連山から、新しい陽が昇る。
活火山が息吹を上げ、風が吹き、さざ波が寄せる。
安永溶岩から大正溶岩の地下一帯に、雨が温泉に変わった地球の一番風呂が潜んでいる。

「ここに来たら何がゴミか良く解る。降灰はゴミじゃない。」
桜島のお陰で、凄いお客様に出会ってきた。
「美しい」の、通常とは違う感覚が生まれる所なのかもしれない。

この環境で出来る水を賜る時、噴火を乗り越え生きてきた先人と、この素晴らしい世界を解き明かして、喜びを分かち会いたいと心から思う。

自然治癒

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「汗がどんどん出るね。
9時のバスで帰るつもりだったけど、もう1回お風呂に入ってくる。
僕はここの温泉と相性が良いみたいだよ。」

そういえば、ちょっと前までサウナがあるかとよくお問い合わせを頂いた。

「僕は、無理に汗をかくのが嫌でね。
こんな風に、自然に汗が出てくるのが凄いね。
あとからあとから、止まらないんだよ。」

温泉巡りをして、10泊目というお客様は、以前、大病をされたとは思えない。
ご自分で体を動かして、回復されてこられたのだろう。

「日本人はさ、昔から続けてきた健康法があるんだよね。
今の医者は薬売りみたいでさ、そればっかりだと、本当に薬漬けになるから、こうやって歩いて旅をして、温泉や景色を楽しむんだ。
ゆっくり疲れを取って、花を見たり、海を眺めたり。
ただ、温泉だけではなく、ゆっくりとした時間を味わって、回復していくのがわかるよ。
自然治癒力って大事だね。
いろいろまわったけど、僕は鹿児島と相性がいいのかな。
本当に気持ちが良かった。
1泊じゃ駄目だな、3泊くらいしないと。」

庭の花々に癒され、お料理もおいしかった、こんなに静かに海を見渡したと、お客様の感じ入るお言葉に、私共は逐次感動しておりました。
ご病気と向かい合ってこられたお時間の中で、当温泉までお越し頂き、本当にありがとうございました。
有村源泉温泉を守っているのは、お客様のような方のお役に立ちたいからです。

「よかったね~。」
にこやかにご出発され、私共も日頃の疲れが吹っ飛びました。